ゼミ(ゼミ論)で考えたかったことについて思い出してみる

 そこからか!という感じですが、私がゼミを通して自分なりの答えを見つけたいと特に考えたテーマについて、その発端からこれまでの軌跡(というほどのものでもないのですが私なりの)について言葉にしてみようと思います。全体的にかなりあやふやで漠然としていますが、いつかこれが形になることを夢見て…

 2年ゼミの頃、何がきっかけでそんな話になったのかはよく覚えてないのですが^^;ゼミが終わった帰り際に

 「社会に出たら、自分は“歯車”になって(社会がうまく動くように)きちんと回っていかなければならない。そのことに不安を感じる」

 …確かそんな内容のことを出水先生に言ったことがあります。文脈が思い出せないので(ボム)この言葉だけ切り取ると、そもそも「社会」とは何か、今大学生という立場なりにすでに「社会」と関わっていると言えないのか、というところから疑問がわいてくるのですが、きっと大学を出て何らかの組織のなかで、その組織、ひいては「社会」が円滑に動くために「働く」ということをイメージしながら、この言葉と言ったのだと思います。そのように「働く」ためには、自己を犠牲にして組織を第一として動かなければならない。そんなことをできる自信がない、と…
 それに対する先生の答えが確かこんなものでした。

 「“歯車”であっても、自分が生きやすくなるように声を上げていかなければならない」

 自分の都合やペースを守るために、所属する組織に環境改善を求めるのは「わがまま」以外のなんでもない。だからそれを主張してはいけない、と思い込んでいた私にとってその答えは衝撃的…というかかなり新鮮なものでした。3,4年ゼミの課題本『労働ダンピング』や『生きさせろ!』、『魂の労働』などを通して、「人間」が磨耗するような働き方が様々な形でいま労働現場において強いられている、ということを垣間見ることは、まさに組織においても社会においても“歯車”として組み込まれている人間がいかに「わがまま」を言っていくべきか、声高に叫ぶべきかということを考えていく過程であったように思います。

 ずっと部活動という少し組織ばったものの中で、自分を組織の都合に合わせていくことばかりを考えていたせいか、今でも「自分が動きやすいように(働きやすいように)声を上げて組織の向きを変えていこう」という発想は私の中に浸透しているとはいえず、憧れであったり、反発するものであったりします。だからこそ、このことについてもっと考えていきたいという思いがどこかにありました。組織に組み込まれている“歯車”がいかにして、またどの程度自分の周りの私空間(あそび)を保っていくべきか。「組織」と一口に言ってもそれは区切り方によって生まれる(区切り方ひとつで規模・形が変化してくる)ものに過ぎないし、たとえばその組織に「企業」とおいてみたとして、そこへの組み込まれ方も最近特に(ゼミ本によく書かれていたように)多様化していると言えます。

 そこで最初にゼミ論のテーマにしようと考えたのが「非正規雇用」でした。正社員と同じ職場で働きつつも、福利厚生や労働条件などは異なるため、(その仕事内容が正社員に限りなく近い場合は特に)その立ち位置はあやふやなものになる。確かに“歯車”として組織に組み込まれているとは言える気がするが、その帰属意識はいったいどこにあるのだろう。誰にどのようにして自分の「わがまま」を主張していくべきなのだろう…ということを漠然と考えて論文のテーマにしようとしたのですが、「非正規雇用」の中でもパート・派遣・契約社員とその雇用形態は様々で労働条件も千差万別であり、また帰属意識にいたっては目に見えづらいものであるために取り扱った本も少なく、そもそも「非正規雇用」という形態は帰属意識が芽生えにくいものではないか、さらに言うと最近では正社員でも帰属意識を持たず、企業間を流動する傾向にあるのではないか(これはアメリカの事例・統計をもとにした本の話でしたが)などなど、形としてとらえにくい問題でした。「帰属意識」というところを除いて書いてみようと思っても、構想発表では新書をなぞったような内容になっただけでした^^;

 そこから非正規雇用の中でも多数を占めるパート、そのパートの中の大半を占める女性…再雇用…早期退職…家庭…とあれよあれよという間に「家庭で求められる男性の役割と企業社会との関係」にたどり着いてしまいました(ボム)ゼミ論の中間発表では企業社会は変容していったものであると指摘され、付け焼刃ながら企業社会の変容にともなう企業と労働者・家族との関係の移り変わりを考えていきました。回りまわって組織と“歯車”と“歯車”の私空間、というところに近いテーマを立てられたように思いますが、なにぶん内容が…特に企業社会という組織のあり方を決定付ける社会構造・概念の変遷について深く考えられなかったのが心残りです。ゼミ本はその変遷の中で生まれた問題について取り扱った本がたくさんあった…というかほとんどがそうだったと言えるのに…

 やはりうまくまとまりませんが、これからもっと“歯車”と組織について、特に労働者と企業の関係について、時代を追って調べていきたいなと思っています。やはりそこには“歯車”となる自分を想像しながら…“歯車”という発想からなかなか逃れられない時点で「わがまま」を主張する戦いの舞台には立てていないかもしれませんが(ボム)